新宿・武蔵野館で『ヘルプ』(原題 the Help)という映画を見た。
きわめて重たいテーマを扱っているが、よくできた脚本と演出のおかげで、たいへん後味が良い映画に仕上がっていて、上演時間の2時間半はあっという間に感じられた。 たかだか50年前(メジローが生まれた頃)のアメリカの南部ではまだ差別的な習慣が残っていた。そして、一番象徴的な事実は、南北戦争後、奴隷解放が宣言された後も南部の州には残っていたという、いわゆる“ジム・クロウ法”の理念で、「分離すれども平等である」というロジック。 たとえば「白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として立ち入れない」とか、電車の車両が白人用と有色人種用で分けられているなど。 映画の中のセリフには、現在の体制(白人と有色人種がきちんと分けられている体制)をゆるがすような扇動的な情報を流してはいけないといった下りもあったように思う。 また、法律で決められているのではないと思うが、映画の中で象徴的に扱われていたのは「トイレ」である。 家の中で黒人のメイド(「ヘルプ」とよばれる)が使用人である白人の家族と同じトイレを使うことを禁じている家庭が多く、竜巻の中を外で用を足すように命令されるシーンなどもある。使用人である白人女性は「病気がうつったらどうする」といったセリフを吐く。黒人のメイドがこっそり使っていないか調べるために、トイレットペーパーの使用量を測るシーンもあった。 自分と異なる背景やアイデンティティ、文化をもつ者は自分の側(サイド)にはいてほしくない。隔離された状態を保ちつつ、自分たちの快適な生活を守りたいという欲求のためだけに、自分にとって心地良くない仕事は違う側(サイド)に属する人間にまかせたいという非対称性の世界。 その一方でチャリティには熱心で、「アフリカの子どもたちを救おう」という名目で、慈善オークションを開催していたりする。 21世紀の現代においても、じつはこうしたロジックがあらゆる分野でしっかり生き残っているのではないかということをあらためて考えさせてくれる映画であった。 また、ライターをめざすスキーターという若い白人女性と、勇気をもってさまざまな体験を語りつづける2人の黒人女性(ヴィオラ・デイヴィスとオクタヴィア・スペンサーが好演!)が、本を出版することを通して、真実を記録し、世の中に広く訴えようとする姿に、仕事柄大いに共感できるところがあった。 この映画の原作小説は、アメリカで1000万部を超えるベストセラーになっているそうだが、著者のキャスリン・ストケットは、2001年の同時多発テロの後から5年をかけて執筆。60ものエージェントに出版を断られ続けて、2009年にようやくペンギンブックスから出版されるにいたったという経緯は、物語の内容とも重なってくる。 ちなみに、この原作者と、この映画の脚本および監督を務めたテイト・テイラーは、1970年代に、この映画の舞台となっているミシシッピ州ジャクソンで過ごした幼馴染なのだという。ともに子どもの頃、「ヘルプ」に育てられた経験をもつ“当事者”でもある。
by mejiroh
| 2012-05-03 16:35
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