「ツォツィ」は、日本でも劇作家として知られている南アフリカのアソル・フガードが書いた唯一の小説だという。
メジローは、映画を見る前に、原作(金原瑞人・中田香訳、青山出版社刊)を読んだのだが、登場人物の心の動きが細やかに綴られていて、情景描写も美しい良品である。 この小説が書かれたのは1960年代初頭のことだが、映画化にあたって、制作者はアパルトヘイトが終結した後の現代に舞台を置き換えている。 長い間、隔離政策によって、虐げられてきた黒人たちが選挙権をもつようになり、政治的にはリーダーシップをとれるようになったが、まだまだ経済的な格差が存在し、黒人の中にもエリート層と貧民層がはっきりと分かれてしまっている。 映画の冒頭から、カメラはヨハネスブルクの高層ビルや高速道路などを写していくが、そのすぐ近くには旧黒人居住区(タウンシップ)のスラム街が広がり、水道や電気の無い貧しい生活を送っている様子がじっくりと描かれる。土管の中に暮らす子どもたちの姿も映し出される。 身寄りの無い「ツォツィ」(不良少年といった意味)とよばれる主人公は、本名を明かすこともなく、仲間たちと窃盗などの犯罪を繰りかえしている。もちろん、生活のためである。 映画では、バクチをやっても計算がうまくできなかったり、カージャックをしても車がうまく運転できないなど、やっていることの大胆さと、きちんとした教育も受けていないゆえの未熟さとのギャップを描いていく。 主人公は、行きつけの飲み屋で仲間の一人を殴ってしまい、店を飛び出し、降りしきる豪雨の中を駆け抜けていく。 たまたま見かけたBMWを運転する黒人女性を銃で脅し、車を盗もうとするが、追いすがるその女性を思わず撃ってしまう。慣れない運転で遠くまで走ってから、初めて後部座席にベビーシートがあり、生後間もない赤ちゃんが乗っていたことに気づく…。 ここからクライマックスシーンにいたるまで、主人公の行動はきわめて衝動的で未熟なままである。 この手の映画は安易な成長物語にしがちであるが、そうしなかったところが成功していると思う。
by mejiroh
| 2007-05-01 23:23
| 今夜もレイトショー
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