東日本大震災以降、さまざまな立場の人がいわゆる「懺悔」を口にしている。
ある著名な建築家は「自分はこれまでいったい何をしてきたのか」と自問し、ありったけの反省を述べた末に、新たな仮設住宅のデザインを発表したりしているのを見ると、やはり「懲りない」感じが否めないのは私だけだろうか。 正直なことをいえば、本書『3.11後の建築と社会デザイン』三浦 展・藤村龍至編著(平凡社新書)についても、最初はあまり期待しなかったのだが、いきなり冒頭から「住宅のあり方を問う」というテーマで、日本政府が高度経済成長期以降、一貫して推進してきた「持ち家誘導政策」の問題点を指摘しているのを読み、この本にはたいへん刺激的なテーマがたくさん含まれていることがすぐにわかった。 いまではある程度社会通念とさえなっている「一住宅=一家族」を前提とする供給システムはほんとうに正しかったのか。大きな災害を経験した私たちにとって、今後も有効なシステムなのか。 これまで建築家のプライオリティとして、ひたすらセキュリティの高い、周りの人と極力接しなくてもよい住宅ばかりデザインしてきたという反省が語られ、これからはもっと地域コミュニティや、仮住まいを意識したものを作っていかなくてはという明らかなテーマ設定がなされていて、ひじょうに共感できる内容になっていることがわかった。 この本は、昨年7月に開催されたシンポジウムを再編集して作られた本である。コミュニティデザイナーの山崎亮さんや、福祉社会学の広井良典さん(千葉大学教授)など、注目すべきスピーカーがたくさん登場している。 私は長年出版UDをテーマに活動を続けている立場であるが、こんなシンポジウムがいつか企画できたらなと、あらためて考えさせられた(勇気を与えられた)1冊である。
日本紛争予防センターというNPO法人の事務局長をされている瀬谷ルミ子さんの『職業は武装解除』はとても読みやすい本なので、私の大学の授業でも紹介してみた。
著者は高校3年の時、新聞でルワンダの難民キャンプで暮らす親子の写真を眼にする。その写真には、コレラで死にかけている母親を、泣きながら起こそうとする小さな子どもの姿が映し出されていた。その写真との出会いをきっかけに、「紛争解決」を専門にしようと考える。 日本の大学では紛争解決を学ぶ機会が少なく、海外の大学院進学をめざし、外国のウェブサイトを巡回している中で次の一文を見つけたという。 「紛争地では、元兵士や子ども兵士をいかに社会に戻すかが問題となっている」 そして、著者はDDRを専門にすることとなる。 ちなみにDDRとは、兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)のことである。 「和平合意が結ばれて紛争が終わっても、それだけで人々が安全に暮らせるわけではない。紛争が終わるということは、兵士にとっては、明日からの仕事がなくなるということだ。ただでさえ、紛争の直後は、家や工場、道路などが破壊され、仕事もなく家族を養うことができない人々であふれる。そんな状態で、手元に銃があり、戦い方を熟知している兵士たちの不満が爆発するような状態が続いたら、また武装蜂起して争いに逆戻りする危険がある。それを避けるため、兵士や戦闘員から武器を回収し、除隊させたうえで、一般市民として生きて行けるように職をつける職業訓練や教育を与える取り組みが、DDRである。」(p35-36) 瀬谷さんが仕事をするうえで大事にしていることが三つあるという。 一つ目は、交渉の現場で、相手の態度や表情の変化が気になったら、「なぜだろう」と一旦その理由を想像してみること。 二つ目は、限界まで精神的にへとへとになったときでも、「あと一歩」だけ進んでみること。 三つ目は、困難が目の前に立ちふさがったときには、俯瞰して考えるようにしてみること。 考えてみれば、大なり小なり、人生には「交渉事」がつきものであるが、それは決してテクニックやマニュアルが解決してくれるものではなく、目の前にいる生身の人間とのコミュニケーションが基本なのだ。 そして、「想像する力」や「俯瞰してみる力」が大切なのだという、たいへんまっとうなことに気づかせてくれる1冊である。
久米宏のラジオ番組で「映画館の思い出」を特集し、リスナーからのメールを紹介していた。
先日のシティライツ映画祭のトークショーでも話題になっていたが、昔見た映画には、一緒に見た人の事や、どの映画館で見たかなどの記憶も一緒に残っていて、大切な思い出になっていることが多い。 メジローは、幼い頃横須賀で過ごしたが、汐入にあったスカラ座という映画館に住み込みをしていた祖母に週末だけ預けられていた時期があり、いまでも映画館に行くとなんだか気持ちが落ち着く。何度も映写室に忍び込もうとして寸前で止められていたが、そうでなければ「ニューシネマパラダイス」のような展開になっていたかもしれない。 ラジオに電話出演していた京都シネマ・神谷雅子さんの『映画館ほど素敵な商売はない』(かもがわ出版)を購入。 神谷さんは、立命館大学を卒業後、京都の週刊新聞の記者をしていたが、1988年京都で初めてのアート系映画館(京都朝日シネマ)が開館した際に参画。1990年からその映画館の支配人をしていたが、オーナー会社がシネコン経営にシフトするため、2003年6月に閉館することとなる。新しい場所に移って営業を続けたいと考え、資金集めなどの苦労の末、2004年12月から四条烏丸の旧丸紅ビルの中にアート系の映画館として「京都シネマ」を開館する。 京都シネマには3つのスクリーンがあり、各61席、89席、104席。とくに音響設備に工夫をしているという。バリアフリー上映会の事についてもふれている。 ラジオの中では、もともと25%くらいの稼働率であれば採算がとれるシミュレーションをしていたが、実際には平日もいれると20%くらいの稼働率であるとおっしゃっていた。 神谷さんは「私が考える映画館像」として、たんに映画を上映するだけの場所ではなく、以下のようなことを挙げている。 1 地域の人にとってなくてはならない文化交流の場であること 2 ハリウッド映画や日本映画の大作、ファミリー向けのアニメーション映画一辺倒ではなく、世界中で作られている様々な国の多様な作品を上映していること 3 未来の映画観客を育てる場であること。とくに子どもたちが、“映画館で映画を楽しむ”企画を積極的に取り組むこと 4 地域の大学や学校などの教育機関や国際交流団体などとも協力し、映画講座なども企画、娯楽施設としてだけでなく、教育的役割を持つ場であり、国際交流の場であること 5 地元で映画を作っている人たちや、映画を作ろうとしている人たちを積極的に支援していくこと
久石譲さんが久しぶりにエッセイを出していることに気づき、10数年ぶりに読んだ。
最初『感動をつくれますか?』(角川oneテーマ21)というタイトルは安易なような気がしたが、読み終えてみると、本の内容をよく象徴している言葉であることがわかる。 著者は、元々現代音楽やミニマル・ミュージックなどをやっていた人で、音楽大学を出て、10年ほど続けているうちに閉塞感を覚えるようになる。そこから宮崎駿や北野武、大林信彦監督などの映画音楽を手がけるようになるのだが、著者によると、毎回が「予定調和にならないよう」真剣勝負の連続だという。 「ものをつくることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ。生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる。(略)必要最低限のスキルを見につけて本気で取り組めば、どんな人でも立派な作品を生み出すことができる。だが、仕事は“点”ではなく“線”だ。集中して物事を考え、創作する作業を、次へまた次へとコンスタントに続けられるかどうか。それができるから、作曲家です。小説家です、映画監督ですと名乗って生きていける。 優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。(p20-21)」 「点」で満足してしまうような仕事はしたくないというところにとても共感するし、(ある程度のクオリティを維持しながら)「線」につなげていくことはとてもむずかしいことを実感する日々である。
以前、「対岸の火事を見ているのではなく」という文章を書いたが、そのことを一番考えさせてくれるのは「国際協力」に関することのように思う。
「フェアトレード」「社会起業家」「NGO」に関する本が増えてきているように、グローバリズムが進む現代に生きる私たちにとってはもはや避けて通れない問題であり、自分の立ち位置を確認する意味でも、関連する書籍を時々読むように心がけている。 以前、山本太郎著『ハイチいのちとの闘い』(昭和堂)を読み、つくづく「貧困」という問題を考えさせられたが、今日は山本敏晴さんの『世界で一番いのちの短い国』(白水社)を読み、「援助」することの意味をいろいろと考えさせられた。 シエラレオネ共和国は、北海道くらいの面積に、同じく北海道くらいの人口の西アフリカの国である。たまたまダイヤモンドがとれるため、それを狙って隣国であるリベリアが内戦をしかけ、ダイヤモンド鉱山を含む東半分を革命軍(RUF=黒幕はリベリア軍)が支配下に置き、西半分を政府軍(実際は国連軍)が支配するという構図になっていたという。 2002年に停戦するまで、約10年にわたって内戦が続き、「5歳になるまでに、子どもの3分の1が死んでいく」という平均寿命最短の国として知られていたのが、シエラレオネである。 HIVの問題にしても、悪名高い四肢切断や子ども兵の問題にしても、共通しているのは「教育」の不在である。 ほんとうの意味の援助を考えるうえで、「教育」は不可欠なのだが、一方で「押しつけ」になってもいけないという葛藤の中で、援助者である個人ができることはなんなのだろうか。 それを考えるために、著者は、2001年9月から2002年3月までMSF(国境なき医師団)の一員としてシエラレオネに派遣され、下痢や皮膚炎などと日々闘い(といってもそのへんの描写が軽妙で面白く読めてしまうのがふしぎだ)、個性豊かなメンバーたちと日々関わりながら、真摯に見つめつづけていたことがよくわかる。
山本譲司さんの『続・獄窓記』(ポプラ社)が出版されたので、さっそく購入。
1年2か月の刑期を終えてから社会復帰するまでの心の動きが丁寧に綴られている。 ずっと刑務官の号令に従った生活を送ってきたため、自分の意思で身体を動かすことを躊躇してしまったり、家族との会話が表層的なものになったりしてしまう。 また、いつも誰かに「見られているように感じてしまい」外に出ることがままならない。 刑務所の中で出会ったさまざまな障害者の置かれている厳しい現実をなんとかしたいと福祉関係の資格をとるため、2つの専門学校を受験してみるが、どちらも不合格。 そんな悶々とした状況を脱するべく、パソコンで執筆をはじめ、たまたま就職求人誌を買うため、息子さんと書店に出かけた時、息子さんがお気に入りの「音の出る絵本」を出版しているのがポプラ社という出版社だということを知り、ポプラ社に原稿を送ってみたところ、編集者の目にとまり、『獄窓記』というタイトルで出版されることになる。 この本の出版がきっかけで、郊外の知的障害者入所更生施設を訪問した著者が、施設を運営している阿部美樹雄氏に「福祉の現場でも、絶えず制度の議論をしていく必要がある」というようなことを述べた際、阿部氏は、温厚な口調でつぎのように語ったという。 「福祉っていうのは、制度上の議論をすることじゃないと思いますよ。制度を語ることよりも、ニーズを知ることのほうが、よっぽど重要だと思います。本来、制度というものは、ニーズの後からついてくるものじゃないですかね」 「私たち福祉に携わる者として必要なのは、『必要な支援を必要な人に届ける』ということだと思っています。それは『制度があろうがあるまいが』です。」 この時の施設訪問がきっかけで、著者はその施設の支援スタッフとして働くようになる。 その後の著者の活躍ぶりを見ていると、体験されてきたことはやはり過酷なものであったと思うが、与えられた運命を受け入れていこうと決めた人特有の「強さ」というものを思いおこさせてくれる。
『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞出版社)は、そのタイトルからビジネス書と判断されるのか、よく書店で目立つところに平積みになっているのを見かける。
もちろん佐藤可士和さんは、多方面で活躍中のアートディレクターで、一見「整理術」とは無縁のようにも思える。 たしかに本の中にも実用書にありがちな「整理法」についての記述があり、実際、佐藤さんのオフィスやパソコンの中はたいへん整理されていることが紹介されている。 しかし、この本の要になっているのは、じつは、「仕事をどう整理して考えるか」にあり、整理整頓がとても苦手な私にとって、具体的な整理法の方は到底まねできそうにないが、「仕事をどう整理して考えるか」については大きな示唆を得ることができた。 著者の佐藤氏は、アートディレクターの仕事を「ドクター」にたとえ、クライアントを「患者」にたとえるのだが、クライアントから話を聞き出し、クライアント自身が気づいていない「本質」を見抜き、整理して提示することであるという。 これは、編集者と著者の関係にもそのままあてはまるものだと思う。 この本を読んで、もっとさまざまな問題を抱えてしまっている人から(地方出張の展示会などの場になることが多く、どうしても限られた時間になってしまうが、たとえ短時間であっても)直接お話を伺う中で、問題点を整理していき、「本質」をつかみながら、自分の仕事(ライフワーク)がつくっていけるようにしていきたいと思った。 また、そのような「本質」をつかむ力をもっている人といっしょに仕事ができる機会を増やしていけるといいなあ。
小学から中学の頃にかけて、なぜか新聞が大好きで、壁新聞や謄写版新聞を仲間たちと作るのが楽しみだった。
また、当時、自宅では読売新聞を購読していたが、図書館で「いま学校で」という朝日新聞の長期連載記事が単行本化されているのを読み、感銘を受け、将来新聞記者になりたいと思っていた時期もある。 (これは笑い話だが、新聞記者がメモをとっている姿を見て、速記を使っているのではと思いこみ、「カタチから入る」タイプだった新聞少年は、通信教育で早稲田式速記をかじったりした) 大学時代、一人暮らしをはじめ、新聞勧誘員のあまりの非道さに「宅配方式こそ諸悪の根源」と考えるようになり、今日に至っている。(毎朝、朝刊を駅のスタンドで買っている)。 以前あまりにしつこい勧誘員と言い争いになり、「私は一生新聞は取らない」と啖呵を切ったところ、切れた勧誘員に「ほんとうだな。ほんとうにお前は一生新聞を取らないんだな」と凄まれた時のことをいまでも覚えている。 新聞報道の大切さはよく理解しているつもりであるが、新聞の売り方にはずっと疑問を持ってきた。 そのビジネスモデルの長年のゆがみについて、わかりやすく解説してくれるのが、『新聞社-破綻したビジネスモデル』(河内 孝著 新潮新書)である。 著者は、昨年まで毎日新聞の経営にたずさわってきた人なので、ひじょうに説得力がある。新聞というものを愛するからこそ、改革が必要なのだという思いが伝わってくる。 新聞は販売経費が4割~5割をしめるという高コスト産業であるだけでなく、一般にはあまり知られていない「残紙」の問題を例に挙げ、資源浪費型であることも指摘している。 (実際、新聞を取らないと言っている人の感覚として、「新聞がたまっていく」のが嫌だという言葉を聞いたことがある) この本のまえがきで、著者はこう述べている。 「あなたたち(引用者注:新聞社の内部で改革をするため苦闘している人々)の真の敵は、テレビでもインターネットでもなく、破綻したビジネスモデルにとりすがる新聞界の守旧派なのですから」 減少傾向にある広告収入を維持するため、部数を確保することが至上命令となっている新聞社の経営のあり方に対して、著者は抜本的な改革を試みたが、やむなく挫折せざるを得なかったという無念さが読み取れる。 アマゾンで有名になった「ロングテール」理論が、新聞にも応用できるのではないかと語る著者は、IT技術を積極的に取り入れることによって、「受け手発想、超多品種、少量生産、安価」というビジネスモデルへの転換の可能性を示唆している。
先日、博物館関係の方との打ち合わせの中で「展示評価」という言葉があることを知った。
キュレーター、デザイナー、エデュケーターなどの存在は比較的よく知られているが、それ以外に、エバリュエーター(Evaluator)という専門家が存在しているとのこと。 博物館の役割が、収集・分類・保存などを中心した専門的な学術研究の場から、幅広い市民の学びを担う役割にシフトしはじめ、展示のわかりやすさ、親しみやすさ、アクセシビリティなどが求められるようになってきている中で、利用者の立場に立った調査や評価はとても大切なことだと思う。 (ちなみに、動物園や水族館なども博物館の一つである。近年話題になっている旭山動物園の行動展示は、その成功例としてわかりやすい) さっそく博物館の評価に関する本を何冊か読んでみたが、たとえば、『入門ミュージアムの評価と改善』(アム・プロモーション)は専門以外の人間にもわかりやすい説明がなされていて、興味深かった。 展示評価をはじめとする、博物館評価において、来館者調査を実施するのが一般的だが、その手法としては大きく分けて、「探索的アプローチ」と「検証的アプローチ」があるという。 前者は、問題の所在がわからず、課題が漠然としている場合に、何らかの仮説を探すための調査で、10~20人程度のモニターを任意に抽出して意見を聞く、あるいはアドバイザリー・グループを組織しておいて、定期的な集まりをもちながら意見を聞いていく方法である。 後者は、ある仮説に基づいた実践に関する評価を計量的に行うもので、サンプル数も数百という単位が必要とされている。 そして、アウトリーチを考えるうえでは、「非来館者(非利用者)調査」が重要である。 なかなかむずかしいことではあるが、この調査においては、「なぜ利用しないのか」「どこに利用しずらさ(バリア)があるのか」「どんな潜在的なニーズがあるのか」を探っていくことが求められている。 これは、出版社や図書館など読書環境のデザインを生業にしている者にとっても、共通するアプローチであると思った。
広井良典さん(千葉大学教授)の『持続可能な福祉社会-「もうひとつの日本」の構想』(ちくま新書)は、たいへん刺激的な内容を含んでいる。
とくに「人生前半の社会保障」論は、新鮮なコンセプトであると思う。 どうしても「社会保障」というと、老後の生活保障のイメージが強いが、広井氏は、「スタートラインの平等」を図るべきだと考えている。これはとくに若い世代の共感を得やすいのではないか。 現代の日本の若者は、かつてない「難しい」時代を生きていると、広井氏はいう。 それは、経済が拡大を続けていた時代は、会社や仕事にひきこもっていればよく、「自分の利益」を追求することが「会社の利益」「日本全体の利益」につながっていたのだが、いまの若者が自分や家族という世界にひきこもっていると、単なる「ひきこもり」と片づけられてしまう。 しかし、その基本構造は、じつはよく似ているのではないかと指摘している。 そのうえで、広井氏は、つぎの二つのポイントを挙げる。 1)「歩くスピードを少しゆっくりする」ような生き方ないし社会への転換。 2)ある閉鎖的な集団の中に「ひきこもる」のではなく、地域や社会に「開かれた」関係をつくっていくこと。 たしかに、後者については、なかなかむずかしい側面がある。 個人でもない、家族や会社でもない、新しいコミュニティとはいったい何か? たまたま、岡田惠和さんが脚本を書いたテレビドラマのDVDを、椎名町のフタバ図書で借りて、たてつづけに見る機会があった。 「あいのうた」 (自殺未遂の女性が、男やもめの警察官と3人の子どもたちと同居する話) 「アルジャーノンに花束を(もちろん、ダニエル・キース原作の翻案)」 (母親に捨てられた知的障害の少年がパン屋で住み込みをしながら大人になったという設定) まだ最初の2回くらいしか見ていないが、「ホームドラマ」という作品もあった。 (海外旅行先のバス転落事故で家族や恋人を亡くした被害者たちが同居する話) いずれも、トレンディドラマのような「個人」や職場の「同僚」だらけの話でも、かつての純粋ホームドラマのような「家族」だらけの話でもない線を狙っていることがわかる。 しかし、これらのドラマの視聴率がそれほど高くなかったことや、作品の完成度から見ても、まだまだ発展途上のテーマであることは間違いないと思う。 < 前のページ次のページ >
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